本気の自己紹介②

Column

前ページでは私の幼少期から高校までのストーリーをまとめました。まだ見ていないという方がいましたら、まずそちらから見ていただくことでより理解が増すのではないかと思います!

れん
れん

ようこそ。よくここまで到着してくれました!

ここでは、超マニア向けの大学生編になります。

ポコ
ポコ

ここまでたどり着くなんて超マニアですね~

皆さんに感謝しなさいよ!!!

この大学生の時に、私の価値観を大きく変える出来事がありました。

それではいきましょうか。

大学入学のとき

高校野球の時には良くも悪くも様々な経験をしました。さて、ここで私が中学生の時に、父兄の前で掲げた目標を覚えていますか?

れん
れん

メジャーリーガーになります!!!

高校生まで野球をやると、ある程度自分の実力や、今後どのレベルまでやれそうなのか。ある程度俯瞰的に物事を見れるようになります。しかしながら私自身は「野球ができる環境にあるなら続ける」ということで、国士舘大学へ進学を決めます。

理由は、当時の大学の監督が元プロ野球選手且つキャッチャーというポジションだったためです。同じポジションを守っていた私は、その道のプロの方から直接学んだ方がプロへの道が近づくと思っていました。

大学1年生のとき

ある程度高校での実績もあったことから、少し期待されて入学しました。レギュラーまでは取れませんでしたが、1年生の頃から少しリーグ戦も経験させていただきました。

大学1年生リーグ戦

まずは上々のスタートを切った私は、2年後・3年後・4年後ともっとレベルアップして次のステップへ進みたいと強く感じていました。そこから目標を達成するために日々必死に練習をしました。

しかし1年生の夏・・・

右肩を怪我(関節唇損傷)してしまいました。

ハンカチ王子こと斎藤佑樹や斉藤和巳も同じ怪我を発症し、現役引退をしています。https://tremania.com/sports/saitoyuki-dameninattariyu/

ポコ
ポコ

リハビリ頑張ってすぐに現役復帰してくださいね。

れん
れん

いえ、大学4年間右肩が治ることはありませんでした。

大学2年生3年生のとき

1年生の頃に右肩を怪我した後、私は復帰を目指してリハビリに励みました。当時の私は、この怪我の重さを知らず、数か月したら治るだろうと楽観的に見ていました。

肩回りの筋肉を鍛えボールを投げるときの負荷を低減させる為に、主にチューブを使用したトレーニングや肩回りの可動域を広げることを目的にストレッチなどを中心に取り組みました。

1か月後。2か月後。半年後。1年後。。。

一向に良くなりません。

ボールを軽く投げただけでも右肩が疼く。右肩を上にあげるだけでも痛い。野球どころか私生活にも支障をきたしていました。

今までは試合に出てアクションを起こした結果、「打てない・エラーした・怒られ」悩むことが多かったです。

しかしながら、この時はその機会も得ることができない。すなわち、「打席に立てない・守備を守れない・試合に出れない」今まで普通にできていたことを全て失いました。

ポコ
ポコ

自分の過去の目標思い出せよ!!!

れん
れん

無理。野球楽しくないし。そもそも野球できないし。

この時の私は、小学校・中学校・高校の時に持っていた野球への情熱が消えかかっていました。

大学4年生のとき

最終学年になると2つの選択肢があります。

①野球を継続して就職する

②野球を引退し就職活動をする

私は、②を選択しました。

理由は、兼ねてから目標にしていたメジャーリーガーに今の状況でなれるはずがないからです。勿論なるだけではなく、活躍してお金を稼ぐことが夢だったので、そこを目指して時間を費やすのは今の自分にとって効率が圧倒的に悪すぎると思いました。

なら、野球は引退してビジネスマンとして超一流になる。野球を続けた人たちよりも稼いで最高の人生にしてやる。というのが今の私の根底に眠っている野望です。

大学野球で変わった価値観

ポコ
ポコ

ようやくこの話をしてくれるんだね。君引っ張りすぎだよね。読者逃げちゃうよ?

れん
れん

ごめんなさい。

さて、ようやくこの話です。私は今まで長年レギュラーとして、試合に出続けていました。試合に出るということは勿論の事、結果が付きまといます。

「打てなかった・エラーした・監督に怒られた・グラウンド外された。。。」等。

試合に出ていた時は正直とても苦しかったです。メンタルにくるし、悩み、嘆き、落ち込み、時には涙を流す時もありました。

ただ、この怪我を経験してから考え方が180度変わりました。

「結果を出して悩めるなんて、とても幸せなことだったんだな」と。すべてを失った今、野球をプレーして悩んでいたことの幸福さを強く感じました。怪我をしてからは、試合にも出られないので結果を残す場面がありません。結果で一喜一憂する機会がないのです。野球すらできないのだから。

今までの当たり前を失ったことにより、今の環境で生まれる悩みや苦しみが全て幸せだなと感じるように変わりました。

皆様の生活にも当てはめて考えてみてください。

今の職場、家庭、仕事、プライベートなど様々なことで沢山の悩みがあると思います。本当に苦しいときは逃げてくださいね(笑)

もし仮に、「会社が倒産したら?家族が亡くなったら?突如重度の病に襲われたら?」今の悩みや苦しみについてどのように感じますか?

「仕事がないので職場での悩むことすらできない。病気になったので日常生活すらままならない。」この時どのように感じますか?

仕事出来てることや家族がいる事、普通にご飯が食べられること自体が幸せではありませんか。すべてを失う苦しみと比較すると、悩めていること自体が自身にとって幸せではないでしょうか。

私は大学の時に怪我をして、このような価値観を持つようになりました。

例えば、資格試験に全然受からないと。その時、自分の頭の悪さに幻滅してしまうかもしれません。しかし突然視力を失ったらどうでしょうか。今まで普通にできていた勉強すらできなくなります。じゃあ、なかなか受からなくても勉強できているだけで幸せで、合格を目指す中で悩めるなんて幸せすぎやしないでしょうか。

このようなマインドを持つ事が出来たのが、大学生活での最大の学びでした。

ポコ
ポコ

悩みを抱える人は多いけど、このように考えるとだいぶ楽になるかもね。

明石家さんまの「生きてるだけで丸儲け」みたいだね。

れん
れん

もしかしたら同じような経験をした人じゃないと理解できひんかもしれへんけど、

悩みが無くなると本間に人生つまらんもんやで。

仕事について

私は親が会社経営をしてるということもあり、会社経営にとても惹かれています。自らでも会社経営したいとも考えていますし、他企業の会社経営の支えにもなりたい。

そんな漠然とした想いだけを持ち就職活動を始めましたが、行きたい業界もなければ学歴もない。

様々な業界の選考に進み、自分の目でよく見た結果、製造業向けのシステム営業をしようと思いました。

今まで使用していた野球道具もどこかで製造されていますし、かつて日本経済を支えたのも製造業です。しかしながら、現在衰退していないとも言えない状況です。

その中で今後もっと伸びるだろうと言われているITを活用して、日本の製造業を再活性化させたいという思いのもと現会社へ入社することを決意しました。

ただ、私の軸としては会社経営の根幹に関わりたいという気持ちが強いので、今後の経験の中で最適な選択を下したいと考えています。

ポコ
ポコ

だから中小企業診断士の勉強も始めたんだね。

このような様々な事を経験し、今の選択に至っています。ただ、まだまだこれから生きる中で数百倍も多くのことを経験すると思います。

自分に正直に人とのかかわりを大切にして、過ごしていければうれしいなと思います!

ポコ
ポコ

いや~~。めちゃめちゃ長かったね。(笑)

少しはれんの事、理解してもらったんじゃないかな?

れん
れん

まだまだ書けるけど、このあたりで終わっとく。(笑)

少しでも興味を持ってもらえたらとても嬉しいです!

コメント

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